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中国の人口侵略にあたり、日米終戦から「トモダチ作戦」までを、振り返ります。中国人へノービザ渡航許可が、迫っています。 [長崎県中国人ノービザ特区 反対]

前の記事は「長崎県、「中国人観光客ノービザ特区」申請へ。これで沖縄割譲へ。」

中国共産党が、人口侵略によって日本を合法的に隷従化させることは、可能です。

1、アメリカが日本に対して行った政策を真似すれば、(中国侵略の先生はアメリカ西部劇

2、我が国に潜伏している朝鮮半島勢力の見えざる支配を乗っ取る。

今日は1について、日米終戦から「おともだち作戦」までを、振り返ってみたいと思います。

先人の辛酸と護ろうとしたもの

1937年7月7日 日中戦争を開始をもって大東亜戦争スタート。

 

太平洋戦争末期の日本軍は、貧弱な兵器と兵站にもかかわらず、一日でもアメリカによる本土攻撃を遅らせようと、必死の抵抗をしました。映像は沖縄戦の神風・硫黄島・ペリリュー島です。 日本兵は当然、昭和天皇が神ではなく普通の人間であることは、知っていた。天皇は日本人にとって、家族国家日本の象徴です。 「天皇のために」という時、「日本にいる親兄弟のために」と言うのと、同じだったのだと思います。

桓武天皇、「家族国家」建設の理想

神話によると日本は、イザナギ・イザナミという男女の神様の「むすび」によって、国も島も、山川草木も、人も鳥も獣もうまれてきたと書かれています。ここが一神教と異なる出発点です。

国はイザナギ・イザナミという男女の神様の「むすび」よって生まれます。家には父母という男女の「むすび」によって家族が生まれます。そして人口1億2000万人の日本人は800年を遡ると、みんな同じ親から生まれたことになるのが、数学的見解だそうです。ところが日本は2000年もの歴史があります。二度も三度も私たちは、同じ家族から生まれ直してきたことになります。

明治維新を経て、アメリカとロシアの圧力に抗して富国強兵策をとるにあたり、ちゃぶ台に並んだ家族の延長で、地域と国家をイメージしました。

これが我が国の家族国家観であり、強さの源でした。

そしてそれは植民地政策においても、同じでした。内地と同じだけの産業・教育・医療の投資をしました。台湾やパラオよりも朝鮮半島には、特に手厚く投資をしました。

 

旧日本軍の強さ パラオ ペリリュー島の戦い The battle of Peleliu

 ※この戦いは、後に米太平洋艦隊ニミッツ提督をして

ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約 40%)を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である

といわしめた戦いでした。

ニミッツ提督がペリリュー神社に残した石碑があります。

 諸国から訪ねる旅人たちよ  この島を守るために日本軍人が  いかに勇敢な愛国心をもって戦い  そして玉砕したかを伝えられよ  

米太平洋艦隊指令長官 C.W.ニミッツ

ニミッツ提督は、戦後、横須賀にあった戦艦「三笠」保存のために私財を献じたことでも知られている。ニミッツ提督もまた武人でありました。

そしてラバウル・ペリリュー島・硫黄島・沖縄、大打撃を受けたアメリカは、日本を二度と強大化させないための手を打ったのです。

アメリカの対日政策

マッカーサーが厚木の飛行場に降りた時、決めていたこと。

1、昭和天皇を戦争犯罪人とすること。

2、靖国神社を解体すること。

3、家族制度・教育、日本の強さの源泉を帳消し。

すなわち、強力な日本を二度と復活させないための措置です。

 

昭和天皇との会見

1945年9月27日

午前9時50分、昭和天皇を乗せた車が、アメリカ大使館公邸に向かって、皇居を出発した。シルクハット、モーニングで正装した昭和天皇の表情は、同行した通訳は「非常に厳しいお顔だった」と回想しています。

午前10時、車は、マッカーサーの待つアメリカ大使公邸の門をくぐった。大使公邸の玄関には、マッカーサーの姿はなく、出迎えたのは、2人の副官だけだった。マッカーサーは、この時、出迎えも見送りもしないと決めていたのです。昭和天皇は、同行したくない大臣などと次の間で別れ、通訳と二人だけで奥の部屋に向かいました。

10時5分過ぎ、レセプションルームで出迎えたマッカーサーは、昭和天皇を部屋の奥へと案内しました。

マッカーサーは、回想記にこの日の模様を記しています。

 「タバコに火をつけて差し上げたとき、私は、天皇の手が震えているのに気がついた。

天皇の語った言葉は、次のようなものでした。

 マッカーサーと昭和天皇は2人だけで会見した。その会見内容は、当時も今も公式に発表されていない。マッカーサーの回想記によれば、天皇は

私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。

そのような発言だったと推察されます。

これに、マッカーサーは感激し、日本最上の紳士と評価して、その後、一層好意ある態度を示したようです。

 

 

 身はいかに なるともいくさ とどめけり

 ただたふれゆく 民をおもひて 

この歌は昭和天皇の終戦時の御製です。この動画の証言にありますが、ご自分の身はどうなってもいいから国民を救いたい、飢える国民のためにお使いくださいと皇室の財産目録を、この面会の際にマッカーサーへ差し出したのです。昭和天皇に限らず御歴代の天皇は、このようなお気持で、祭祀とお祈りを続けてこられたのです。

35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていました。マッカーサーは、予定を変えて、自ら昭和天皇を玄関まで送りました。

1、「昭和天皇を戦争犯罪人とすること。」は、この動画にある会見によって、マッカーサーは心から昭和天皇を尊敬し、昭和天皇を戦争犯罪者にすることは、なくなりました。

2、「靖国神社を解体すること。」は、いかに神道が日本人に大切なものであるかについて学者の説明を受け入れ、靖国神社解体はなくなりました。

GHQは、天皇は日本国民自身によって殺されることになると、考えていたようです。ヨーロッパのギロチンが当たり前の歴史からすれば、そう考えるのも無理ありません。ところが天皇の行幸によって、国民はますます励まされることに、GHQは驚いたのです。そしてこれを利用すべきであると、考えを改めたのです。

しかし日本弱体化の決心は、アメリカ国家の意思です。

アメリカのしたこと

ニクソン大統領の言葉

評論家の宮崎正弘氏は、ニクソン大統領の世界戦略の壮大さと、そのストラテジーに惹かれ、一冊を翻訳し(『リアルピース』)、さらにNYへ会いに行きました。このときニクソンと独占インタビューをしましたが、この時

日本は巨大なインポテンツだ

と明言したそうです。

この言葉は、アメリカの大成功した対日本政策を象徴しています。たとえ日本が経済的に成功したように見えても、国際社会で二度と立ち上がれないように弱体化が成功したことを、言っているのだと考えます。軍事・経済・政党・官僚・資源あらゆる面で、日本が国際社会で自立できないような仕掛けを、作ってきたのです

 

 


アメリカは、どうやって日本を従属させることにアメリカは成功したか

アチソンは対日懲罰政策を唱える人物で、国務省から知日派を一掃した。この本国の反日姿勢を後ろ盾に勢いづいたのが、GHQの左翼ニューディーラーたちでした。

彼等は日本の歴史や伝統に全く無知で、日本に民主主義を根付かせるためには、過去の伝統を破壊しなければならないと考えていた。そこで「プレスコード(新聞規約)」「ラジオコード(ラジオ規約)」と呼ばれる、徹底した言論・報道統制を実施、日本の過去はすべて悪で、占領軍によってはじめて日本は民主化されたとのプロパガンダを行い、日本人を洗脳しようとした。

と同時に矢継ぎ早に社会主義的政策を押し付けました。

農地改革、

財閥解体、

労働組合法公布による労働運動の解禁、

日教組の前進である教員組合の結成などを推進、

この追い風を受けて、戦時中は弾圧されていた日本の左翼勢力が息を吹き返し、マスコミや教育界・言論界で大きな力を持つにいたりました。  

さすがにニューディーラーのやりたい放題には、GHQ内部でも批判が出るようになり、1948年頃には彼等も力を失っていきましたが、日本の左翼勢力がそれを引継ぎ、社会主義・共産主義が戦後社会に定着し、日本の伝統精神を破壊することに奔走しました。

GHQの左翼ニューディーラーたちのつくった占領憲法、個の押し付けと家族解体

第二次世界大戦後も、日本人は依然として多神教の民族です。しかし占領憲法で一神教的個を前提とした仕組みの家族と社会を強制されました。

なぜでしょう?

それは日本軍が予想に反して、ひ弱な兵器と兵站であまりに強力な抵抗を見せたからです。左翼歴史家は、「神風は無駄死にで効果がなかった・沖縄では住民の虐殺が行われた・満州の関東軍は移住者を見捨てて真っ先に逃げた」と書きますが、これも歴史の捏造です。玉砕もあったし戦争には負けたのです。それは事実ですが、強靭な抵抗と大打撃を与えたのです。

そしてその強さの秘密が、家族制度です。アメリカが。今の日本の左翼・在日勢力(日教組・同和団体・朝鮮半島カルト教団)を利用して、壊したい対象そのものです。

日本に戦争放棄を謳った憲法を押し付け、戦争贖罪意識をもたせるために メディアと教育で洗脳したのです

1、日本人魂の骨抜き「3S政策」

(引用開始 3S政策 ウイキィアぺディア http://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96

安岡正篤により、アメリカ軍占領時代の日本での存在が主張された。 安岡は、第二次世界大戦終結後、GHQが日本の占領政策を実行するにあたり、

基本原則としての「3R」(Revenge―復讐、Reform―改組、Revive―復活)、

重点的施策としての「5D」(Disarmament―武装解除、Demilitalization―軍国主義排除、Disindustrialization―工業生産力破壊、Decentralization―中心勢力解体、Democratization―民主化)、

そして補助政策としての「3S」を策定したことをGHQのガーディナー参事官(フルネーム未詳)から直接話を聞いているという[1]。

しかし、鈴木邦男は「「3S政策」はGHQが押し進めたと書いている。

じゃ、公式文書があるんだろうか。「日本人を映画づけ、スポーツづけ、セックスづけにして日本弱体化を計る」とか。まさかこんな文書はないだろう」 [2]と主張している。 安岡が存在したと主張する、この政策により、

日本では性風俗が開放され[3]、

映画やエンターテインメントが興隆し、

プロ野球をはじめとするスポーツが国民行事となった。

スクリーン(映画)、スポーツ、セックス(性産業)またはスピード(クルマ)は大衆の欲望動員による娯楽であるが、それらに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて大衆を自由に思うがままに操作し得るとされる。簡単に言えば「ガス抜き」政策である。あまりにも厳しい占領政策をすると、暴動が起こる恐れがあるので、人々の目を逸らさせるために行う[4]。

安岡は「日本を全く骨抜きにするこの3R・5D・3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的なものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけであります」[3]と警告している。 これらの政策と「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、日本のマスコミや教育現場が当時のGHQによる検閲を経て、現在に至るまで「自己検閲」を続けることによって日本の弱体化を図ったものとされている[4]。

(引用終り)

2、アメリカが中国・韓国に仕込んだ「中韓 vs 日本」敵対装置「ディバイド・アンド・コンカー」(Divide and Conquer)の戦略

白人社会では、血で血を洗う戦いが続けられてきました。その経験から、脅威となるかもしれない相手に力を持たさないためには、常に反目しあう勢力をつくっておくことが、もっとも効果的だと知っています。その常套手段の一つが、分割統治(ディバイド・アンド・コンカー)です。

アメリカは李承晩に命じて、歴史捏造反日教育をさせました。韓国人は幼い時から学校や家庭で、「日本時代は、あらゆる朝鮮人が日本人の奴隷として生き、搾取・略奪・虐殺した悪逆非道な植民地支配だった」と教えられます。

ここが同じ日本の植民地政策を受けながら、今もって親日的なパラオ・台湾と、まったく異なる関係となったゆえんです。

しかし実際は日本は朝鮮半島に対して、日本国民の税金で病院、警察署、道路、水力発電、農地、鉄道、そしてあの小さな国土に3000もの近代的小学校を建設し、日本語だけでなくそれまで無視されていたハングル語を必修で学ばせました。

その結果、日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させ、1次・3次産業も信じられないくらい伸ばしました。

そして劣悪な衛生環境を向上させ、日本の医療を導入して平均寿命を26歳から42歳まで飛躍的に伸ばしました。人口は二倍になりました。

3、アメリカが日本社会に仕込んだ反日勢力者(共産思想サヨクや在日朝鮮人たち)を左翼育成 

アメリカは日本を再興させてはならないという強い意思で、日本国内に対立させる一派を育てたのです。ソ連が日本の左翼を育てるのなら話は分かりやすいですが、資本主義国家アメリカが日本の左翼を太らしたのです。

アメリカは日本国民が一致団結するととんでもない力を発揮することを大東亜戦争で知った、だから日本人を分断さすために日教組を利用して「日本帝国主義はアジアに進出して残虐の限りをつくし、アジア人民を虐げた」と教えさせたのです。

アメリカは、決して表に出ないまま「マルクス主義の階級闘争史観」というイデオロギー染まった人たちに、資金を提供しました。

それが今では

A、日教組・自治労などの官公労は、研修と称して北朝鮮へ旅行しています。

B、法務省が中国人帰化を容易にするために、5年で帰化可能になりました。(なぜこの省庁が反日政策を連発するのか?次のブログで書きますが、朝鮮半島カルト教団に汚染されているのです)

C、文部科学省は、中国人留学生を増やすために、毎年膨大な税金をつぎ込んでいます。

D、北朝鮮・韓国から還流されるパチンコ資金が、民主党・社民党・自民党の一部のパチンコ議員への資金援助、言いかえれば買収に使われてます。

アメリカが日本に仕込んだマスコミ・知識人・売国国会議員たちからなる自虐史観宣伝装置が、日本の直面する最大の危機です。

そして

尖閣諸島の中国船長への対応問題・福島地震原発の複合災害を契機として、この流れを変えなければなりません。

ところが民主党は、中国人へのノービザ渡航を、与えようとしているのです。

アメリカ 日本支援の陰でこれからの復興特需狙うと識者語る

 

 今回の大震災では、アメリカが「オペレーション・トモダチ」を展開した一方、中国、ロシアが日本の領空にヘリコプターや空軍機を接近させるなどの事態が起きている。

 京都大学大学院教授で、社会経済学・社会思想史を研究する佐伯啓思氏はいう。

「世界各国は、日本復興をめぐる政治的な綱引きをしています。原発大国1位の米国と2位のフランスが、福島原発への支援を競っているのは、自国の原発政策への影響を防ぐと同時に、今後の原発市場をめぐる駆け引きでもあるわけです。

 米国が狙っているのは、日本が復興するに向けて生じる復興特需です。ジェームズ・アワー元国防総省日本部長が『復興のためにTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を批准し、農業改革せよ』と述べたように、震災や原発事故で打撃を受けた農産物市場に、TPPを契機として食い込んでこようとするのは確実です」

 事実、米投資情報週刊誌「バロンズ」は3月20日付で「日本は買い」と題する記事を掲載した。東日本大震災が起きた3月11日以降、日本株は12%も下がった。マーケットが過剰反応しているのは明白で、もともと大震災以前でも割安だった日本の株はさらに安くなっており、絶好の投資機会と書いたのだ。米国はこの震災すら、投資の一環と捉えている。

 佐伯氏は、この流れを危険視している。

「そうして復興を米国に委ねてしまえば、今度こそ日本は、グローバル金融資本主義に呑み込まれてしまう。

 日本はいまこそ、アメリカ型の市場競争やグローバリズムから方向転換し、新しい経済モデルを考え出さなければなりません。社会的なインフラの再構築、中期的な被災地の復興から長期的な国土計画まで、強力な政府が主導する壮大なプランを、日本は自ら打ち立てなければならないのです。

 いわば、関東大震災後に後藤新平が描いた帝都復興計画のようなことが求められているわけですが、戦後とのアナロジー(類比)でいえば、第二次大戦の戦後復興を、GHQ抜きでやり直すということでもあります」

 戦後の日本は、GHQによる間接統治のもと、奇跡的な成長を遂げた。しかし、今回もまたそれを繰り返せば、日本は今度こそ米国の経済的属国に堕してしまうかもしれないというのだ。

※週刊ポスト2011年4月22日号


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