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「OECD 学力 国別比較」 今こそ国語を中心とした知識教育に、重点をおくべきです。 [日本再生]

     

    日本の「成人力」世界で突出 「読解力」「数的思考力」トップ OECD調査

    2013.10.8 23:52


    学力 国別比較

     

     社会生活で求められる成人の能力を測定した初めての「国際成人力調査」(PIAAC=ピアック)で、経済協力開発機構(OECD)加盟など先進24カ国・地域のうち、日本の国別平均点が「読解力」と「数的思考力」でトップだったことが8日、分かった。日本は各国に比べ、成績の下位者の割合が最も少なく、全体的に国民の社会適応能力が高かった。また、生産現場の労働者などいわゆるブルーカラーの能力が高いことも分かった。

     この調査はOECDが平成23年8月から翌年2月にかけ世界24カ国・地域の16~65歳の成人約15万7千人を対象に実施。日本では男女1万1千人を対象にして5173人が回答した。(1)社会に氾濫する言語情報を理解し利用する「読解力」(2)数学的な情報を分析し利用する「数的思考力」(3)パソコンなど「ITを活用した問題解決能力」-の3つの社会適応能力を調べた。

     それによると、日本は「読解力」の平均点が500点満点中296点で、OECD平均273点を大きく上回り1位になった。「数的思考力」も、OECD平均269点に対し日本は288点で、2位のフィンランドに6点の差をつけて1位だった。

     読解力と数的思考力の得点を「レベル1未満」から「レベル5」まで6段階にわけて分析したところ、日本は下位の「レベル1未満」と「レベル1」の解答者の割合が各国の中で最も少なく、逆に上位の「レベル3」と「レベル4」の割合が最も多かった。最上位の「レベル5」の割合は読解力で4番目、数的思考力で6番目だった。

     職業別にみると、各国では現場作業員や農林水産業者らいわゆるブルーカラーの平均点が、事務職やサービス業などいわゆるホワイトカラーの平均点に比べて明らかに低かった。しかし日本ではブルーカラーのレベルも高く、各国のホワイトカラーと同程度か、それ以上だった。

     一方「レベル1未満」から「レベル3」まで4段階で評価された「ITを活用した問題解決能力」については、日本は「レベル2」と「レベル3」の上位者の割合が35%にとどまりOECD平均の34%とほぼ同じだった。文部科学省では「ITの習熟度では課題が残ったが、全体的なレベルが高かったのは基礎基本を重視する義務教育の成果だ。このレベルを維持し、向上していきたい」としている。



    (次も引用です)

           『三橋貴明の「新」日本経済新聞』

                         2013/10/18



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    From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
     
    おっはようございま~す(^_^)/

    少し前の話題ですが、ひさびさに良いニュースでした。
    日本の「成人力」世界で突出 「読解力」「数的思考力」トップ OECD調査(産経ニュース 2013年10月8日付)
    http://sankei.jp.msn.com/life/news/131008/edc13100823540003-n1.htm

    より詳しい調査結果については、文科省のHPにPDFファイルが掲載されています。
    (「OECD 国際成人力調査 調査結果の概要」)
    http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/__icsFiles/afieldfile/2013/10/08/1287165_1_1.pdf

    なかでも良いと思ったのは、日本は、国民の間の知的格差が非常に小さく、多くの普通の人々のレベルがおしなべて高かったことです。

    文科省のHPの「調査結果の概要」のファイルのほうでは、「読解力」の比較について18ページに詳しいグラフが出ています。

    それによると、日本では、「単純作業の労働者」、「セミスキルド・ブルーカラー」(農業、林業及び漁業従事者、技能工及び組立工等)、「セミスキルド・ホワイトカラー」(事務職、サービス及び販売従事者)、「スキルド・ワーカー」(管理職、専門職、技術者・準専門職)の間の格差が、他国よりもかなり小さいのです。職業間であまり差がないんですね。

    また、なんと日本の「単純作業の労働者」のほうが、米国やドイツの「セミスキルド・ホワイトカラー」(事務職、サービス及び販売従事者)よりも、かなり点数が高い! 

    日本の強みがよく表れていますね。皆、平等に能力がある。格差が少なく普通の人々が優秀である。それこそが日本の国力の源泉だと思います。

    イギリスは、この「国際成人力調査」であまり成績が良くなく、けっこう悔しかったんですかね。イギリスの新聞『ガーディアン』紙には、「日本の教育は詰め込み式だから、基礎学力はついたとしても、批判的思考力は身につかないはず」という趣旨の記事が出ていました。
    (「なぜ日本人の子どもは、算数や読み書きで世界一なのか」『ガーディアン』紙、2013年10月8日)
    http://www.theguardian.com/world/2013/oct/08/why-do-japanese-children-lead-world-numeracy-literacy

    (上記の英文記事の紹介が次にあります。「詰め込み受験勉強のおかげ? 日本の成人「学力」世界一の理由を海外メディアが分析」『ニュースフィア』2013年10月12日」)
    http://newsphere.jp/national/20131012-1/

    『ガーディアン』紙の記事で強調されているのは、日本の子どもが覚えなければならない漢字の多さです。


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    小学校卒業までに1006字、中学卒業までに1130字、高校卒業までに2000字程度を覚えなければならない、それぐらい覚えないと社会人としてやっていけないと紹介しています。そして、そんなに多くの漢字を覚えるために、日本の子どもは、詰め込み教育を強いられ、批判的思考力を養う機会が奪われている。日本人の子どもは哀れだ!というような口調で書かれています。

    欧米人のアジア観って、いつまでたってもあまり進歩がないですね…。

    欧米人にとっては、漢字は、とても難しくみえるようです。戦後、GHQも一時期、「専制的で前近代的な」日本社会の「民主化」を進めるために、漢字を廃止し、ローマ字表記に切り替えようと考えたようですし。

    ですが、日本人からしてみると、漢字を覚えるのが特に大変!ということはあまりないと思います。掛け算の九九や、歴史の年号や、英単語とあまり変わらん、という感じでしょうか。

    言語社会学者の鈴木孝夫氏は、逆に、日本語の表記システムに漢字があることが、一般庶民と知識層との間に諸外国のような際立った格差ができない一因だと述べています。特に、日本の漢字には、中国や朝鮮半島などとも異なり、「音読み」と「訓読み」があることが、知的格差を作らないという点で大きいと論じています。

    鈴木氏によれば、たとえば英語だと、知識層が使うような専門的語彙は、一般庶民には初見ではまったく意味がわからず、とっつくにくい語がほとんどだというのです。

    鈴木氏は次のような例をあげています。

    hydrocephalus (水頭症)
    pyroclastic (火砕流)
    socialytic (lamp) (無影灯)(手術室で用いる影になる部分を作らない証明器具)
    pithecanthrope (猿人)
    heliotropism (向日性)
    anthropophagy (食人)

    これらの英単語は、専門的な語彙であり、英語を母語とする人々でも、よほどのインテリというか専門家でなければわからないそうです。

    たとえば、鈴木氏は、イェール大学に客員教授として赴任していた時、あるセミナーの席で、イェール大学の人文社会系の大学教員や大学院生を前にして、”pitecanthrope”という単語を黒板に大書きして、意味がわかるか尋ねたそうです。そうしたら、まったく、この単語の意味がわかる人はいなかったということです(鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書、138-139頁)。

    日本だと、たとえ専門外の人の集まりでも、「猿人」と書けば、だいたいの人はその意味がわかります。

    英語の高級語彙(専門的語彙)は、ラテン語やギリシャ語に由来するものが大部分です。鈴木氏によれば、ラテン語やギリシャ語に精通した人であれば、初見でも、こうした高級語彙の意味がおおよそ推測できるとのことです。

    たとえば、hydrocephalus(水頭症)でしたら、hydroは水、cephal-は頭にあたるギリシャ語由来の綴りです。同様に、二番目のpyroclastic パイロクラスティック(火砕流)でしたら、パイロの部分が「火」で、クラソは「砕く」という意味のギリシャ語出自の綴りです。

    ギリシャ語をしっかりやったことのある人なら、ある程度、「水頭症」や「火砕流」という意味を推測できるそうです。

    ですが、ギリシャ語やラテン語に通じている人は欧米でも現代ではごく少数のインテリに限られますので、英語を母語とする人でも専門家でない限り、上記のような単語の意味を語源から推測することはほとんどできず、初見では理解できないということです。
    つまり、hydro=water(水)とか、cephal-=head(頭)とか、pyro=fire(火)などと、一般の人は、結び付け難いのですね。
    ですので、いきなりhydrocephalusとか、pyroclasticという語がでてくると、専門家以外は、ちんぷんかんぷんということになるというわけです。また、一度くらい意味を聞いただけでは覚えるのが難しいんですね。

    日本語でも、音だけで「suitosho」、「kasairyu」と言われると、なかなか何のことか想像もつきません。

    日本語の高級語彙の多くは、中国語由来の言葉である漢字の組み合わせで作られています。高級語彙が外国由来の言葉の組み合わせで作られるという点では、日本語も英語も、あまり変わりません。

    ですが、鈴木氏によると、日本語の場合は、漢字には「音読み」だけでなく「訓読み」もあることが、本来は外国由来のなじみのない言葉をわかりやすくするのに一役買っているのです。

    たとえば、「水」という漢字には、「スイ」という音読みだけでなく、子どもでも日常生活で使う、なじみやすい大和言葉である「みず」という訓読みが付きます。あるいは、「砕」という漢字には、「サイ」という音読みだけではなく、「くだく」という訓読みがあります。

    つまり、鈴木氏によると、日本語の場合は、「スイ=水=みず」、「サイ=砕=くだく」という具合に、高級語彙を形成する漢字の音という外来要素が、その漢字の訓というなじみやすい日常の言葉(大和言葉)に結び付けられているために、日本語の高級語彙は、わかりやすく、覚えやすいというのです。

    言ってみれば、訓読みがあるということは、「『砕=サイ』という漢字は『くだく』って意味だよ、「砕く」とも書くよ」、とか、「『食=ショク』という漢字は『たべる』って意味だよ、「食べる」とも書くよ」と折に触れて示しているようなものですよね。

    このように、鈴木氏の説明によれば、「漢字の音読み・訓読み」とは、外来の抽象的概念を、日々の暮らしのなかでなじみやすい日常語に結び付ける働きをもつ仕組みだということです。

    だから、日本語の場合は、特に、教養がある人とか、その分野の専門家ではない一般の人々であっても、かなり専門的な言葉が比較的かんたんに理解でき、たとえ初見でもとっつきやすいというわけなのです。高級語彙と日常の言葉にあまり断絶が生まれないんですね。日本語というのは、格差を作り出しにくい、皆に優しい言語だといえないでしょうか。

    このことは、日本では、「知識人」と「一般の人々」という仕切りがほとんどなく、一般庶民の知的レベルが非常に高いということにつながってくるように思います。

    ながながと書きましたが、うまく説明できたかどうかちょっと心配です…。
    f(^_^;)

    結局、何が言いたかったかというとですね、一つは、日本は、やはり、格差社会になっちゃいかんのじゃないかということです。以上の漢字の音読み・訓読みの仕組みに表れているように、「国のかたち」が、大きな格差ができにくいようになっているのではないかと思います。

    日本は、やはり経済にしても、知的な側面にしても、一般庶民の力で保たれている国なので、多くの普通の人々が能力を磨き発揮できる社会をこれからも作っていかなければならないのだと思います。

    それと、今回もう一つ指摘したかったのは、外国人が日本に対していうことって、結構、的外れなこともあるんじゃないかということです。

    『ガーディアン』紙が相も変わらず書いているように、イギリス人から見れば、漢字は、ものすごく難解に見えるんでしょうね。だから、彼らの観点からは、いっそのこと、漢字を廃止してみたらどうだというような提案が出てきがちです。実際、欧米人の観点を真に受けて、漢字廃止論を唱えてきた日本人もたくさんいます。

    ですが、鈴木氏の述べているように、おそらくこれは的外れです。逆に、日本語には漢字表記システムがあるからこそ、一般人と専門家との間にあまり垣根がなく、一般庶民の知的レベルが非常に高くなりやすいといえるように思います。

    あまり外国目線の改革提案を真に受けずに、われわれは、自分たちの常識や生活感覚を信頼してやっていけばいいんじゃないでしょうか。日本人は、どうも最近、そういう常識や生活感覚に対する自信を失っているようです。米国などの外国から、改革が必要だ!といわれると、ホイホイ追従してしまいますし。

    いつもにもまして、ながながと失礼しますた<(_ _)>



(管理人です)

知識偏重教育、という批判がされて久しい。しかしこの時代、1980年代であるが、日本経済は世界でトップだった。

ノーベル賞は物理学賞、科学賞、生理学賞、医学賞、文学賞、平和賞の6分野に分けられる。
2012年時点で、受賞者中に日本人(日本国国籍を持つ人)は18名がいることで、受賞者の人数が世界8位であった。受賞分野は一番多いのは化学賞(7名)であり、次に物理学賞(6名)である。自然科学で16名になる。

参考)http://chinareaction.com/blog-entry-261.html

知識重視の教育に、何の問題があるのか?この度の「OECD 学力 国別比較」でも、知識偏重教育時代の中高年は、世界トップの学力です。知識こそ学力の基礎であり、日本の発展を支えていたのです。

知識偏重教育批判は、ゆとり教育などと言葉を変え、主要教科の内容を減らし、国際化の名の下に英語時間の増加。

その結果がどうなったかは、国際テストの惨めな結果に明らか。

知識偏重教育などの批判は、妄言であるか、外部勢力の内政干渉です。今こそ国語を中心とした知識教育に、重点をおくべきです。


タグ:学力 日本語
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