スラヴォイ・ジジェク氏 〔PHOTO〕gettyimages

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■世界中で奴隷を増やすばかりのグローバル経済

グローバリズムについての懐疑論が盛んだ。

ドイツの大手のウィークリー新聞である『ディ・ツァイト』紙に9月10日付けで、スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)という哲学者の論文が掲載された。ジジェク氏はスロベニア出身で、現在、欧米ではとても力のある哲学者の一人だ。和訳されている著作もたくさんある。

『ディ・ツァイト』紙に寄稿された論文は、「ユートピアが爆発するとき」というタイトルで、氏はこの中で、現在、EUを危機に陥れている難民問題はグローバリズムが原因であると結論づけている。

リードにはこう書かれている。

「ヨーロッパで自由な生活を営むという移民たちの夢が叶うことはほとんどないだろう。だからこそ我々は、世界中で奴隷を増やすばかりのグローバル経済の条件を、根本的に改めなければならない」

ジジェク氏はもともと思想的にはかなり左寄りの人で、反資本主義の傾向が多分にある。その彼、曰く、

「実は左派リベラルは、心の中ではすでに、国境をなくすことなどできないと感じている。そもそも、そんな動きが強まれば、極右が大衆を巻き込んで力を蓄え、大変なことになるはずだ。ところが、それにもかかわらず心清き人々を装い続けている。そして、"可哀想な難民を見殺しにしてはいけない"、"EUの門戸を開こう"と唱えて、自分たちを倫理の高みに置いている」

「一方、右派は、難民が自分たちの力で母国の状況など変えられないことなど百も承知で、すべての国民は自らの生活は自分たちで守るべきだという正論を主張する。どちらも悪い。両方とも偽善にすぎない」

しかし、ここで興味深いのは、左派である彼が、左派リベラルの偽善のほうが、難民排斥を訴える右派ポピュリストたちのそれよりも、より悪質だと結論付けている点である。「難民問題における最大の偽善者は、国境をなくそうというプロパガンダに励む左派リベラルである」というのが彼の主張だ。

■解決策はシンプル。西側資本が手を引けば良いだけ

グローバリズムのメカニズムというのは、いうまでもなく、国境や民族主義を取り払うということだ。ジジェク氏によれば、その結果、搾取する強い国と、搾取される弱い国が出来上がる。そして、新たな経済的植民地が形成され、奴隷制度が復活していく。難民問題に関連して、はっきりと「奴隷」という言葉を出している言論人は、EUの中では極めてまれだ。

ジジェク氏は続ける。

「リビアに干渉し、混乱に陥れたのはヨーロッパであり、イラクを攻め、ISの台頭を促したのはアメリカだった。中央アフリカ共和国で南部のキリスト教徒と北部のイスラム教徒の内戦が続いているのは、単に民族的憎悪が吹き出したからではない。北部で見つかった石油が原因だ。イスラム勢力と結びついたフランスと、キリスト教勢力と結びついた中国が、石油の利権をめぐって代理戦争をやらせているのである」

「我々の罪を証明する明白な証拠としてあげられるのはコンゴだ。この国は、再び"暗黒の心臓部"となってしまった。2006年6月5日のタイム誌のテーマが『世界最大の死の戦争』だった。しかし、この記事を読んで叫んだヒューマニストがいたか?

皮肉な言い方をするなら、タイム誌は、苦悩というテーマで、間違った犠牲者に取り組んでしまったのだ。彼らは、いつもの容疑者を扱うべきだった。イスラム教の女性の苦しみや、チベットで行われている抑圧をもたらしている容疑者を……」

ジジェク氏のコンゴ情勢についての記述は読んでいて胸に迫る。

2001年、国連が、コンゴにおける資源の不法な搾取についての調査を行ったという。要は、ダイヤモンド、コルタン、銅、コバルト、金という5つの資源だ。つまり、コンゴ内戦の裏では、これらの資源をめぐって、グローバル資本がせめぎあっている。

コンゴはすでに国家とは言えない。いくつにも別れたテリトリーで各部族が権力を振るい、それぞれの首領が、資源を搾取する外国企業とつながっている。ともに利を得るために、彼らは軍隊を作り、麻薬中毒にした少年兵を戦わせる。住民は難民となって逃げ惑う。そして、こうして西側に渡った資源は、タブレットやスマホなどのハイテク機器に使われているのだ。

つまりジジェク氏によれば、我々が本当に多くの内戦国家を助け、難民が出ないようにするには、やるべきことは簡単だ。つまり、それらの国々で儲けている西側資本が手を引けば良いだけだという。

「(アラブやアフリカにおける)国家権力の崩壊は、現地の現象ではなく、西側が利益を得ている結果なのだ。崩壊した国の増加は、偶然の不幸ではなく、明らかに、強国が経済的植民地に行使するメカニズムによるものである。中でもリビアとイラクの場合は、西側の干渉がとりわけ直接的に行われた」

また、ジジェク氏によれば、アラブの国家崩壊の原因は、第一次世界大戦後に、イギリスとフランスが引いた人工的な国境、そして、それによってできた人工的な国家に遡るものだ。ISの出現は、かつて植民地の支配者がシリアとイラクに分けてしまったスンニ派が、ようやく一つになったとも解釈できるという。

■見て見ぬふりをしているわけにはいかない

ジジェク氏の論は、非常に示唆的である。そう言われてみれば、今、地中海で、そしてバルカン半島で起こっている民族移動も、まさにこれと同じ構造に思える。

重層的に搾取された結果、内乱や貧困から抜け出すことができず、生きていけなくなった人たちが、「ヨーロッパ」という一縷の望みを胸に、全てをなげうって、人買いの手に落ちていく。汚い船倉にアフリカ人を詰め込んで地中海を渡る老朽貨物船は、まさに現代の「奴隷船」ではないか。

そして、かつての三角貿易でイギリス人が大儲けしたように、また、今も中央アフリカ共和国やマリの地下資源でフランス人が大儲けしているように、地中海の奴隷船で大儲けをしている人たちが、きっといるのだろう。

今、ドイツでは、難民の流入をプラスと考えようという論調が盛んだ。足りない労働力を補ってくれる。人口も増える。だからそれを歓迎しようという話だ。しかし、ドイツの産業界は、難民を最低賃金の規定から除外しようと画策している。新しい奴隷制度が形成されつつあるというジジェク氏の理屈は、ここにも当てはまるかもしれない。

そして、強い国に住んでいる私たちは、何も悪いことなどしていないつもりでも、なにかしらの形でこの犯罪に加担し、これらの搾取から利益を得ているに違いない。

グローバリズムは今、真剣に問い直されている。90年代のはじめ、ソ連が崩壊し、ユーゴスラビアが解体したころ、「これからは世界は一つの村になる」という言葉が流行った。あのころのグローバリズムは民主主義や近代化と同意語で、その先には希望と理想の世界があった。

以来、西側社会は、ロシア、イラン、あるいは、シリアやリビアやイラクといったアラブの国々を、民主主義の行われていない国として糾弾し続けてきた。そして、強引に「民主化」を行い、アラブの春を遂行した。

その結果、今、ロシアとイランを除いて、これらの国々は総崩れだ。そのうえ、そこでグローバリズムという名の静かな植民地化が始まっているとしたら、私たちは、見て見ぬふりをしているわけにはいかないのではないか。

ますます混沌としていくアラブやアフリカ、そこから溢れ出す難民を考えるとき、確かに、グローバリズムという観念が大きなカギを握っているのかもしれないと、ジジェク氏の論考を読みながら思った。

著者: 川口マーン惠美
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