米国が追加利上げし日米の金利差が拡大する中で、日本銀行は「デフレ脱却」の看板を下ろせず、国債買い取りもやめるにやめられない状況だ。金利急騰となれば、“国債漬け”の日銀が「債務超過」に陥るシナリオも語られ始めた。(ダイヤモンド・オンライン特任編集委員 西井泰之)

金利高、国債急落のリスク
日銀が「債務超過」に陥る?

 米国の連邦準備制度理事会(FRB)が追加利上げを決めたが、「物価上昇率2%」の目標を掲げる日本銀行は、直後に開いた政策決定会合で超金融緩和を続けることを決めた。だが日米の金利差が拡大し、国債(長期金利)市場が不安定な動きをしかねない中で、日銀は金利上昇を抑えようとしてまた国債購入を増やすことになりかねない。借金財政をファイナンスする“国債漬け”日銀の「出口」はますます見えなくなった。

 FRBが利上げを決めた直後の16日の金融市場は、すでに利上げを織り込んでいたことから、長期金利や為替も大きな動きはなかった。だがFRBは今後、年に3回程度のペースで利上げをする見通しで、金利上昇が加速する。 日本の市場金利も引っ張られるかたちで上がる可能性がある。10年物国債の金利を「ゼロ%程度」に抑える「長期金利コントロール」に踏み出している日銀だが、金利を安定させようとするほど国債買い入れを増やさないといけなくなる。国債買い取りを減らし、「正常化」で動き出したばかりなのに、逆戻りになりかねない。

 だがそれでも日本だけが金利を低く抑えるのは、世界の金融市場が一体化している中で、至難のことだ。一方で逆に国債購入を抑えれば抑えたで、日銀が金利上昇を容認したと市場が受け止めて、金利高が加速し、国債や株式市場が不安定化するという綱渡りの舵取りだ。

「デフレ脱却」を旗印に日銀が銀行などから国債を買い取ることで、市中に出回る資金の量を増やしたり、金利を低く抑えたりする政策が続けられてきた。今や新規に発行される国債の大半を日銀が購入。その結果、ストック面でも日銀の資産の86%を国債が占める。財政赤字の膨張が止まらないだけでなく、金融政策が国債市況に縛られて柔軟性を失い、日銀がコントロールするどころか、国債市場の虜になっているかのような構図だ。

 いったん金利が急騰(国債価格が急落)すれば、財務基盤にも影響が出る。日銀のバランスシートでは、国債は簿価で評価されているので、ただちにそれで会計上は決算収益が赤字になるわけではない。購入した国債は売らずに満期まで保有するからという理由だが、逆にいえば、途中で売ると「含み損」が表面化するから、物価が上がって金融引き締め(国債を売って市中から資金を吸いあげる操作)をしようにもできなくなる。インフレが止まらなくなり、結果、国債の額面が維持されても資産価値は目減りしてしまう。そうなれば日銀だけに限らず、一般の国債保有者まで「損」をしてしまう。

 またこの間の金融緩和で金利を下げるために、日銀が国債を額面より高く買っている局面が増えているので、そうした国債については毎年、損失が計上されている。一方で、時価評価される上場投資信託や外貨資産などが値下がりすれば、評価損が出る。場合によっては自己資本が毀損し、日銀自体が「債務超過」に陥ることになりかねない。となると、政府歳入の一部である日銀納付金が計上できなくなるどころか、逆に日銀への公的資金投入という事態になってくる。

政府と日銀、一連托生
止まらない財政赤字の膨張

 中央銀行は、無利子の銀行券を発行する代わりに得た国債などの利息収入との差額が、「通貨発行益」として出るから、自力で自己資本を回復できる。民間銀行と同じように考えても意味がないという意見や、あるいは政府と日銀を一体の「統合政府」と考えるなら、両方を統合した会計で見れば、日銀が債務超過でも問題は起きないとの見方も少なくない。最近でも2015年に、スイスフラン高を抑える為替介入を停止し、巨額のユーロ資産の評価損が出たスイス国立銀行が債務超過の状況になったが、政府がしっかりしていたので問題は起きなかった。

 だが、政府が大赤字となれば事情は違ってくる。政府が増税を先延ばしし財政健全化に取り組む姿勢が見えなかったり、財政が破綻寸前だったりという国の中央銀行が発行する通貨はどうなるか。通貨の信認が崩れて超インフレになり、自国通貨を国民すら使わなくなったジンバブエなどの例でも明らかだ。

 日本はどうか。「会計上は表に出ないとはいえ、巨額の国債含み損を抱えた日銀を、投資家や国民が結局はどう考えるかだ」と熊倉正修・駒澤大学教授は言う。日本の場合は、消費税増税も先送りしたまま、借金の利払いをするために借金をするというかたちで財政赤字の拡散が止まっていない。それを、過大な成長率を前提にした甘い税収見通しで“再建計画”を作り、日銀が国債購入や納付金で政府の財布を支え、低利政策で利払い負担も軽くして財政が回っているのが実態だ。

「政府と日銀の間でお金をやりくりして表面上は取り繕っているが、金利が急騰すれば両方がおかしくなる。政府(財政)と日銀は一蓮托生の関係だ」。企業でいえば、債務超過の親会社(政府)を子会社(日銀)が必死で支えている構図だが、政府(財政)の底が開いている中では、“国債買い支え”は際限がないことになる。

短期金利ゼロで限界だった
「量的緩和はマジック」

 日銀がここまで泥沼にはまりこむことになったのはなぜなのか。

 もとはといえば、政策金利(銀行が資金の過不足を調整する短期市場で日銀が資金を出す際の金利)がゼロになった時点で、金融政策がやれることはほぼ限界にきていた。銀行の貸出金利を下げて企業の投資を促すには、銀行の短期市場での資金調達コストを下げることしかない。だが短期金利がゼロまで下がってしまえば、その効果はそこで終わる。だが「デフレ脱却」を求める自民党やリフレ派の声に押し切られて始めたのが、資金の「量」をターゲットにする金融緩和策だった。

 初めて「量的緩和」に踏み切った政策審議会の議事録に、当時の委員たちの「本音」が語られている。

「(これで)景気がよくなっていくなら良いが、ならないと地獄になる」

「そう地獄だ。(緩和を)もっともっともっと、ということになる」

「こんなことをしても意味がないことを、途中で納得してくれるのを期待することだ」

 バブル崩壊後、金利を下げ続けて、金利がゼロ近くになっていたのを利上げに転じたが、米国のITバブル崩壊で、再び緩和を余儀なくされた。自民党や政府から「時期尚早のゼロ金利解除」の批判を受けるなか、金利をゼロに戻せば、政策の失敗を認めたことになるというので、「新たな枠組み」として打ち出したのだった。

 日銀が資金をいくらでも供給するとなれば、(1)将来、物価が上がるという「インフレ期待」が生まれ、金利はゼロでも実質金利は下げられる(期待形成効果)、(2)投資家が株式などの、リスクはあるがより収益が見込まれる金融資産に買い換える(ポートフォリオリバランス効果)などの「理屈」が考えられた。

 だが、当時の日銀内で効果が信じられていたとは言い難い。「意味がなくても、市場や企業がそれで経済がよくなると期待するなら、その幻想に乗ってマジックもどきのことをやろうと考えた」(当時の審議委員の一人)のが実情だ。もともと金利がゼロとなれば、銀行に借りる気持ちさえあれば日銀からは無限大に資金を供給できる。ゼロ金利はいわば究極の量的緩和だった。それなのに、わざわざ銀行の当座預金残高を「量」の指標にして、日銀が銀行から国債などを買い取って資金を供給することで当座預金残高が積み上がっていけば、緩和が進んだように見せられるというのが、「マジック」のタネ明かしだ。

抵抗も、安倍政権で“全面降伏”
金融政策放蕩のツケはこれから

「量」の指標は、その後、「国債買い取り額」や「マネタリーベース」に変わったが、いくら量を増やしても効果に限界があるのは同じ。このところは「長期金利」を指標に戻したが、国債買い取りはずっと続く。日銀がリスク資産を直接、購入すれば、リバランス効果が強まると、買い取りの対象は上場投資信託、不動産担保抵当証券などに広がった。それらの市況が一時的に活況になったり、一部の不動産価格が上がったりしたのは確かだが、グローバル競争の激化に加え、生産性の低下や労働人口の減少などの構造問題を抱える実体経済の回復への波及はほとんどなかった。

 リーマンショック後、欧米の中央銀行が同様の量的緩和策(非伝統的金融政策)を始めると、緩和が為替引き下げ競争の様相を次第に帯びるなかで、日銀だけが、とやめるわけにはいかなかった。その時々では“抵抗”しても、結局は押し切られ、安倍政権で黒田総裁が就任すると“全面降伏”とばかり、「アベノミクス」の旗振り役を任じてきた。

 この間、政府の財政再建努力は先送りされて、日銀保有の国債残高は増え続け、財政ファイナンスの性格を帯びる。民間でも、超低利局面が長く続いてきた結果、「ゾンビ企業」が生き残って、新陳代謝、産業構造の転換が遅れ、一方で国債や上場投信などの市場は“官製”化が進んでしまった。

「中央銀行としての(のり)をこえたことをずっとやってきた。やめておいたほうが良かったと思っても、考えたくない状況にどんどん近づいているのが現状だ」。ある日銀OBは自虐的に語る。仮に債務超過で日銀に税金投入という議論になったら、批判は日銀に集中する。国債急落が引き金だったら、国債や株で損をした人がたくさんいるのだから、日銀だけが不公平だとなる。その時に政府は毅然とした態度をとれるのかどうか。政治問題になって動きがとれない日本を、海外の投資家はどう見るか。「結局は、そういうことにならないように国債を買い続けて、どこかで財政赤字垂れ流しの穴がふさがれ、財政健全化に動き始めるのを待つしかない」。

 かつて「微益微害」だからということで始まった量的緩和策だが、やめるにやめられず、リスクばかりが膨らむ。金融政策放蕩のツケをこれから誰がどういうかたちで払うことになるのかも見えない