アップライジングの斎藤社長は元プロボクサー。アマ時代は五輪代表候補にも選ばれたが現役引退後、人生のどん底を味わった

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中古タイヤや中古アルミホイールの買い取り・販売業を営む有限会社アップライジングの宇都宮本店はユニークだ。

店内には猫と遊べる猫ルームやオシャレな授乳室まであり、タイヤの買い取りは査定から現金受け取りまで5分で完了するドライブスルー方式を展開。近隣の小学校前での毎日の挨拶運動や駅前清掃、被災地支援など地域貢献にも積極的だ。

だが、同社がもっとも大切にしているのは客ではない。社員である。

社長の斎藤幸一さん(41歳)は元プロボクサー。引退後、“親子3人の生活費は1日500円”という人生のどん底に落ち、そこから這い上がってアップライジングを設立したのは2006年4月。斎藤さんと弟、妻の奈津美さん、元アルバイト先の牛丼屋の同僚、合わせて4名でのスタートだった(前回記事「どん底からの逆転人生とは…」参照)。

ところが、そこでも思いもよらぬ事態が起こった。設立からわずか2ヵ月で、弟が同業者として独立するのだ。

通信販売に加え、店頭販売も展開したい斎藤社長に対して、弟が従来のやり方の維持を望んだ結果だった。「商品の取り合いをするのか!」と、再び心に憎しみが灯ったが、さらに弟の会社のスタッフに後輩や知人がついたことも許せなかった。

その後、弟は結婚するが、肉親ということで披露宴に招待された斎藤社長は、なんと式中に「あんなライバル会社は潰す!」と大声を出し、奈津美さんにつまみ出されたという。いまだ変わり切れていない「それくらい最低の兄でした」。

そこから救ってくれた人は数々いるというが、あえてひとりだけ紹介するなら…。

07年、アップライジング設立から1年半後、ついに借金がなくなった。そのお祝いを兼ね、妻と娘の3人で熱海旅行に出かける。そこで、かつて商売の心構えなどを教えてくれたMさんに再会すると、斎藤社長の口から次から次へと父や弟への非難がついて出た。それを聞いていたMさんはこう言った。

「悪口ばかりじゃ食事をしていても、少しも楽しくないよ。もっと前向きで楽しい話をしないかい? 斎藤君、他人を許すんだよ。他人を許すと、自分の心も緩む。自分の過去の言動への後悔もやめて、自分も許すんだよ。自分を許すと楽になるよ」

この言葉に斎藤社長は、ハッとする。「その通りだ。もう、他人の悪口はやめよう。そう決心しました。そして、父と弟が私のことをどう思おうとふたりを許そうと決めたんです」

その数年後だった。父親が血液の病気で入院する。すぐに弟に連絡し、袂(たもと)を分かってから数年ぶりに病院で再会。そのベッドのそばで兄弟の会話が戻り、弟の仕事が不振であると知ると、アップライジング参入を勧めた。この当時、700坪の店舗へと移転し、売り上げも初年度の1億円台から3億円台へと伸びていたのだ。

父親には「ごめんなさい」とこれまでのことを素直に謝り、父は息子の商売繁盛や兄弟の復縁を喜び、その後しばらくしてから亡くなった。

 

この経験は大きかった。人を許すーーこれは今、社長としての信念になっている。そして社訓にはこんな言葉がある。

自分を許し他人を許せる人間であれ

これが意味するもの…。例えば、社員のミスを決して怒らない。

昨年入社したばかりの岩田工さん(44)は過去に数社の大手企業に勤務していたが、ミスには上司からの叱責がつきものだった。ところが、ここでは怒られないことに驚いた。

「入社早々のことです。整備ミスで自社トラックのボルトを折ってしまったんです。普通なら怒鳴られ、始末書ですが、社長からは『悪意のないミスはむしろチャレンジだ』と怒られませんでした。確かにそう言ってくれることで、同じミスをしないぞと自ら考えることができました。本当の意味で、僕もここでチャレンジしようと仕事に熱が入ったんです」

設立時からのスタッフ・増山健太課長(32)は、かつて牛丼屋で斎藤社長と一緒にアルバイトをしていた。その縁で、社長の自宅がタイヤで埋まっていた初期から仕事に入っていた。当時から社長には距離感の近さを覚えていて、その接し方が心地よかった。ただ時々、社長がカリカリしている時は近寄れなかったというが、その雰囲気も徐々になくなった。

「会社が中古タイヤとホイールの輸送業務を手掛ける時、自分がその担当になりました。忘れられないのは、初めて輸出用のコンテナを海外に送る時、110万円の売り上げのうち60万円を内金でもらったのですが、出荷後、買主の外国人が残金を払ってくれなかったんです。

これは自分のミスです。でも社長から一切のお叱りはありませんでした。ただ『なんでこんなことが起きたのかを分析し、これからどうするかを考えようよ』と言ってくれて。ホッとしたのと同時に、この失敗を教訓に絶対に盛り返すぞとの意思が湧きました。あそこで怒られていたら委縮するだけで前には行けなかったと思います」

斎藤社長が目指すのは、叱責がないこともそうだが、誰もが安心して働くことができる職場だ。また、自らどん底を味わっただけに社会人として生きたいという人への門戸は広い。例えば、取材時、タイヤやアルミホイールを洗浄する現場に後期高齢者かと思われる社員を見た。実際、79歳だった。その人、本名克彦さんの入社時の年齢は71歳だという。

「以前、この人は市のシルバー人材で働いていて、給料が安かったんです。そこで、直接雇用をしてくれる場所を探していたところにウチで働きたいとの申し出がありました。ウチでは年齢は関係ありません。働きたい人はここで働いてもらいます」(斎藤社長)

他にも、78歳と72歳の社員がいるというが、先の岩田工さんも社会復帰したい一念で入社したひとり。大手企業勤務時代、長時間残業に耐えられるよう、目がさえる効果をもたらす咳止め剤を服用し、その結果、依存症に…。食事量が減り、痩せ、精神バランスも崩した。

覚せい剤使用者などの更生施設ダルクに入り、依存症から脱し、そこで指導員を勤めた後、7年ぶりの社会復帰の職場に選んだのがアップライジングだった。就職面接で自身の過去をつまびらかに明かすと、そのまっとうに生きたいとの意思を尊重してもらえ、採用された。

入社して正解だったと語る岩田さんだが、「ここはタイヤ屋でありながら、タイヤを売らなくてもいい会社です。タイヤの減りが心配な客には『まだ履けます』と伝えて、まるっきり商売っ気がない。だから喜ばれるんですね。ここでは客が客を呼んでいます。社員も嘘の営業トークがいらないから気持ちよく仕事ができる。大手勤務時代と比べたら収入は減りましたけど、今のほうが幸せです」

 

 

今回の取材中、岐阜県の中古タイヤ業者が視察に訪れていた。その営業部長のKさんが現場を見て驚いていた。冒頭でも紹介したが、まず店頭で見たのが、スタッフが自宅の飼い猫を放している「猫ルーム」だったからだ。

「猫ですかあ…」

タイヤ交換中に出かけたい人のためのレンタルサイクルもある。女性客のための授乳室もある。そしてガラス張りの社長室――。商品のタイヤはフロントの奥の部屋に大量に展示してあり、「いやあ、奥に置いているんですね。ウチではありえません」とただ感嘆していた。

また、日本に約100台ほどあるうち、実際に稼働しているのは30台ほどしかないというアルミホイール修正機を設置しているが、これさえあれば、ほとんどのタイヤショップで「修理は無理」と言われているひどい曲がりの完璧な修理も可能だという。それなのに、なぜ日本に30台程度しか稼働していないのか。

「直せるのに『直せません』と、物を買わせる方向に誘導する業者もあると聞きます。自分のホイールに愛着を持つ人は多く、需要はあるはずなのに」(斎藤社長)

そのため修理依頼も少なく、ペイしないため、あえて数百万円もする機械を購入しようとする業者は少ないのだ。実際、視察に訪れていたKさんの会社も修正機を保有しているが、「ウチの注文は毎月1件くらいです」。

対して、斎藤社長は「ウチでは昨日だけで7件です」。

この違いは何か。Kさんはこう分析する。

「ここはタイヤを売ろうとしていません。店全体がタイヤ以外のことで惹きつけている。奥に入って初めてタイヤやホイールがある。この発想が面白いです。だから最後にはタイヤやホイールを買ってくれるんですね」

アップライジングは今、年商4億5千万円になり、その商売の秘訣を視察に来る同業者は絶えない。だが、この会社の評価すべき点は、確かにその本来業務ではない分野――地域、子ども、障がい者、児童養護施設、途上国――に優しい企業に育っていることだ。

そこに行き着くまでに、さらにどういうきっかけがあったのか…。これを斎藤社長に問うと、即座に答が返ってきた。

「東北大震災です。あれは僕の価値観を変えました」

●この続きは次週、5月7日(日)10時に配信予定!

(取材・文/樫田秀樹)