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スターリンはヒットラーの何倍も残虐だった。毛沢東と蒋介石の内戦の犠牲者は、日中戦の何倍も犠牲者を出した。韓国は有史以来、中国の属国。そんな歴史を改ざんしたいよな? [日本再生]

    講義で「日本の蛮行」訴える韓国映画上映 広島大准教授の一方的「性奴隷」主張に学生から批判
    2014.5.21 08:18 (1/3ページ)「慰安婦」問題

     「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の発信基地に成り下がってしまったのか」

     広島大学で韓国籍の男性准教授の講義を受けた男子学生(19)は、ため息交じりに語った。

     一般教養科目の「演劇と映画」と題された講義。4月28日、約200人の学生がスクリーンに投影された映像を見せられていた。

     「日本刀で焼きごてをあてられた」

     「日本人が『朝鮮女性を強制連行したことはない』というから腹が立ってたまらないのよ」

     インタビューを受ける高齢女性は何度も「日本の蛮行」を訴える。韓国映画「終わらない戦争」。元「慰安婦」の証言をもとに構成された60分のドキュメンタリー映画だ。

     「突然、2人の日本軍人が私を小さな部屋に押し込んだ。私が声を上げると、刀を抜いて鼻を刺した」

     衝撃的な“証言”が次々と登場する。学生はじっと映画を観賞するしかなかった。

     映画には、慰安婦性奴隷説を唱える中央大教授、吉見義明や、慰安婦問題をめぐり米国内で日本非難の先頭に立ってきた日系下院議員、マイク・ホンダらも登場する。

     慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の官房長官、河野洋平の談話。強制性の根拠とされた韓国人元慰安婦16人の証言は、信憑(しんぴょう)性の調査も行われなかった。

     准教授は上映前、こうした河野談話の問題点を説明することもなく、学生に「人間はありのままに語ることはできない。だが、物語の力、虚構によって、より真実を鋭く伝えることも可能だ」と話し、映画が「真実を伝えている」と強調した。上映が終わると、「今日の授業は以上です」と告げ、すぐに講義を切り上げた。「強制連行」の証言だけを示し、学生には議論の余地も与えなかった。

     講義を受けた学生らは「日本だけがものすごい悪いように映った」「映像内容がその通りだと素直に思ってしまった」と漏らしていたという。

     男子学生は国立大学の授業として、慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられたことに疑問を呈し、「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」と指摘する。

     広島大学は「現在、事実関係を確認している。事実がはっきりしない段階ではコメントできない」としている。

     准教授の講義の狙いはどこにあったのか。

     「学生に議論の余地を与えなかったのではなく、講義の時間が足りなかった」

     取材に対し、准教授は釈明する一方でこう続けた。

     「従軍慰安婦、性奴隷はあった。事実だ。私は優れたドキュメンタリー映画の例として、『終わらない戦争』を学生に見てもらった」

     河野談話は韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治らの根拠なき「強制連行説」を下敷きに作成されたが、そのなかで大きな役割を果たしたのがメディア、なかんずく朝日新聞だった。(敬称略、肩書は当時)



世界変えた「20世紀日本」再考を 明治大学名誉教授・入江隆則

2014.5.21 03:25 (1/4ページ)正論

 ≪3つの世界的大事業の達成≫

 20世紀の日本は、3つの世界的な大事業を成功させた、と私は常々考えている。第1は1904年から05年にかけての日露戦争の勝利であり、第2は41年から42年にかけての大東亜戦争の緒戦勝利であり、そして、3番目は戦後60年代~70年代初めの高度成長による経済大国の建設である。

 まず、第1の日露戦争の勝利について考察してみたい。

 20世紀初頭のロシア帝国は、すでに世界有数の大国であり、それまで国際舞台で名前を耳にすることすらまれだった極東の小国、日本がとても挑戦できるような相手ではない、というのが、当時の世界の常識だった。しかし、05年3月10日の奉天会戦で日本陸軍がロシア陸軍を打ち破り、同年5月27日から28日にかけての日本海海戦では、日本海軍は水雷艇3隻を失ったのみで、ロシアのバルチック艦隊のほぼ全てを沈没させるか捕獲するかしてしまった。

 これは、そのちょうど100年前の1805年に、イギリス海軍が、スペイン・トラファルガー岬沖の海戦でフランスとスペインの連合艦隊に対して挙げた嚇々(かっかく)たる戦果をも凌(しの)ぐ、一方的な勝利となり、ポーツマスの講和会議を日本有利に導く結果となった。かくして、極東の小さな島国日本は突如として、世界の5大強国の1つにのし上がったのである。

 次に、2番目の大東亜戦争の緒戦勝利に関してである。

 日本がアメリカに、最終的に敗れて7年間にわたり占領された歴史があり、この間に行われた東京裁判という「政治ショー」を、日本人の多くが大なり小なり受け入れたこともあって、大東亜戦争の緒戦勝利の重大性がかすんでしまったまま今日に至っている。遺憾な状況というほかない。

 忘れてならないのは、日本が大東亜戦争に踏み切った41年当時、フィリピンからマレーシア、インドネシア、インドを経てアフリカ諸国に至るまでの地域が欧米の植民地だったことである。日本はその欧米支配を、41年12月8日の開戦から翌年2月15日のシンガポール陥落までの、わずか2カ月の戦いで打破したのである。

 ≪緒戦で欧米植民地に終止符≫

 その当時はロンドンに亡命していて、戦後の58年にフランス第五共和制の初代大統領となったドゴールが、「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する」と述べたのも、あながち誇張ではなかった。

 それは、戦争の前と後の世界地図を見比べれば一目瞭然である。アジアからアフリカまでの欧米の植民地の多くは戦後に独立国となり、同じ傾向がその後も続いた結果、今日の世界地図は植民地時代から大きく塗り替えられている。それが、日本がいわば捨て身で決行した大東亜戦争の「副産物」でもあったという点、もっと強調されてしかるべきだろう。

 さて第3の、戦後日本の高度成長は、敗戦後の45年から岸信介による60年の日米安保条約改定までの「政治の季節」を、後継首相となった池田勇人が所得倍増政策を掲げて、「経済の季節」に転換したことが始まりだった。

 しかも、このうねりは日本国内だけにとどまらず、今や懐かしい言葉になってしまった「アジアの4匹の小竜」、すなわち、韓国、台湾、香港、シンガポールの経済離陸をも引き起こした。以来、今日まで半世紀余にわたり継続されているアジア経済の奇跡的な大発展は、この時に開始されたといっても過言ではあるまい。

 ≪21世紀は日本モデル普及を≫

 シンガポールの政治学者、キショール・マブバニは、近著『「アジア半球」が世界を動かす』(邦題)の中で、世界は目下、大変貌のさなかにあり、中国とインド、イスラム世界の経済的、政治的かつ文化的開花によって、「脱西欧化という動乱の時代に足を踏み入れた」と指摘している。

 私はこの見方に異存はないのだが、そうした流れを始動して強力に推進してきたのが、これまで見てきたように、20世紀の日本だったという事実を看過している点には不満があり、それが本書の唯一の弱点だと思っている。

 このように、近代日本は多分に期せずして、アジアが植民地支配の軛(くびき)を脱するための触媒作用を果たし、さらには、雁行(がんこう)型の経済発展を率いることによって、結果的にアジア地域が貧困から抜け出す手助けをしたのである。

 では、21世紀の日本は、そうした前世紀の成果という土台の上に今後、何を築いていけばいいのだろうか。これは難問ではあるが、誤解を恐れずにあえて言い切ってしまえば、それは、広い意味での「日本モデル」を世界に普及していくことであると思う。

 今日の日本は、生活が豊かで、自由で、治安も良く、人々の助け合い精神も旺盛で、さまざまな意味で社会的な差別も少なく、文化的にも楽しい国である。日本的な文化と精神といったものを世界に広めていくことこそ、これから日本がなし得る最大の国際貢献だと言っておきたいと思う。(いりえ たかのり)


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