靖國神社の「奥の奥」(斎館の大階段)

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 神前に神饌(食事)を供える祭事「朝御饌祭」、天皇皇后両陛下がご休憩される部屋がある「斎館」、皇族や政府要人、外国からの賓客を迎える「到着殿」ほか、普段一般に公開されていない靖國神社の“奥の奥”を写真家・山岸伸氏が撮影。知られざる靖國の杜をご覧いただきたい。

 夕暮れの東京・九段下。緩やかな坂を上り、日本最大級の高さ25mの大鳥居をくぐると、大村益次郎像辺りから盆踊りのお囃子が響いてくる。7月13日、参道両脇の大小約3万の提灯が照らす中、盆踊りが靖國神社の夏の風物詩「みたままつり」の始まりを伝える。

「昭和22年の第1回開催当時、占領軍は靖國神社を軍国主義の拠点と見て廃絶も視野に入れていましたが、大勢の参拝客で賑わう様子は彼らへの無言の圧力になったはず。日本国民が見せた、婉曲な不服従の姿勢だったのではないでしょうか」(神道学者の高森明勅氏)

 明治2年、戊辰戦争の官軍側戦没者を慰霊するため、明治天皇の思し召しによって創建された東京招魂社を前身とする靖國神社。本殿には幕末から太平洋戦争までに没した軍人、軍属など246万6000柱余が祀られる。今回特別に許可を得て、普段立ち入ることのできないこの靖國神社の深淵に触れることができた。

 靖國神社の一日は朝6時に始まる。大太鼓の音が21回、拝殿から鳴り響く中、神門が開門される。続いて8時からは朝御饌祭が行なわれる。御饌祭とは、神様に神饌(食事)を供える祭事。毎日2回、朝8時と午後3時に行なわれるのは、かつて日本人の食事が1日2食だったことに由来する。

「靖國神社では、年間を通して神職が24時間常駐しています。祭祀の奉仕のほかに、境内で不測の事態が発生したときなど、安全な場所に神様をお移しする役割を務めるのは、神職以外にないという事情もあります」(前出・高森氏)

 相前後して、神職が本殿前を丁寧に掃き清め、熊手を曳いて玉砂利に筋をつける。凛とした静けさは、そこが神職以外立ち入ることのできない聖域であることを伝える。

 朝の祭事を終え、社殿の外を歩くと、その広さに驚く。第一鳥居付近から拝殿までの参道は430m、総面積9万9000平方メートルというから東京ドームの2倍以上の敷地を持つ。境内は神霊を祀る本殿などを除けば広く一般の参拝者に開かれているが、通常立ち入ることのできない場所もある。

 そのひとつが、天皇皇后両陛下が行幸啓の際に御休憩所として使われる書院の間もある斎館である。この館の扉が開くのは、春と秋の例大祭で勅使が使用する時を含め、年5回の祭典だけとなっている。勅使は斎館を出て掃き清められた参道を通り本殿へ向かい、天皇陛下から賜った御幣物を神前に供える。

 あまり知られていないが、御幣物の現物が境内北側にある遊就館2階の特別陳列室に展示されている。その部屋には御幣物以外にも、勅使の御祭文や明治・大正・昭和三代の天皇の御真影など、普段見ることのできない貴重な品が展示されている。この遊就館は明治15年に開館した日本最古の軍事博物館で、10万点の所蔵品を保管する。

 遊就館の隣に建つ靖國会館1階には、蔵書13万冊のほとんどが国防・軍事関係という靖國偕行文庫が入る。日本の近代軍事史の関連資料は、国会図書館に次ぐ規模とされる。

 一般に公開されていない施設のひとつに、皇族や政府要人、外国からの賓客を迎える到着殿がある。昭和8年に建てられた当初は記念殿と呼ばれ、専用の車寄せ、玄関を持つ。玄関を入ると、手前から「榊葉」「桐花」「菊花」の3つの貴賓室が並び、窓の外には枯山水の庭園が見える。また、かつての軍人が利用したサーベル立てや国内外の要人が署名した和帖など、貴重な調度品、歴史資料が残されている。

 到着殿の左手奥に進むと回遊式の神池庭園が広がる。明治初めの造園で、池で泳いでいるのは昭和57年に上越新幹線開通を記念して献納された新潟県特産の錦鯉。普段、境内最奥に位置するこの庭園を訪れる人は少ないが、毎年4月上旬の「さくらまつり」では茶店が設営され、多くの参拝客で賑わう。

 庭園横には、「行雲亭」「洗心亭」「靖泉亭」の3つの茶室が佇む。現在、行雲亭では裏千家の茶道教室が定期的に開かれるが、元々は日本刀鍛錬会の所有だった。その後、日本シェパード犬登録協会が入り、靖國神社百年史編纂室を経て昭和63年から茶室として使われるようになった。

 茶室のさらに奥にあるのが相撲場。神社創建の明治2年、余興として大相撲が奉納されたときに造営された。以来、大祭の時期に合わせて今も行なわれている。他に大相撲が奉納される神社は、伊勢神宮と明治神宮のみ。大正6年に両国国技館が焼失した際は、本場所が2年間4場所開催されたこともある。現在も東日本学生相撲新人選手権大会などの舞台で、学生相撲のメッカとして知られる。

 靖國神社は、相撲以外のスポーツにも縁が深い。昭和36年の奉納プロレスでは力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木らがリングに立った。日本の近代競馬発祥の地でもある。庶民レベルでは、毎朝境内でラジオ体操が行なわれている。誰もがその名を知るが、どこか近づきにくい靖國神社。だが、足を踏み入れ歴史を知れば、文化的で身近な鎮守の杜であることに気づくはずだ。

※週刊ポスト2016年8月19・26日号