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日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした [日本再生]

Date : 2019/01/07 (Mon より以下を抜粋しました
 パリ会議は、ヴェルサイユ会議としても知られるが、1919年2月に日本全権団が「人種平等条項」を提案したところ、11票対5票で採択されそうになったが、議長をつとめていたウィルソン・アメリカ大統領が、「このような重要な案件については、全会一致でなければならない」といって、日本案を葬った。
 小国が賛成票を投じたのに対して、アメリカはフィリピンを領有し、国内で黒人を差別していたが、英仏などの植民地帝国が反対した。
 今年は、日本全権団が「人種平等条項」を提案してから、百周年に当たる。
 日本は先の大戦で、大きな犠牲を払って戦って敗れたが、西洋が数百年にわたり支配していたアジア諸民族を解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、次々と独立していった。
 その結果、日本の力によって、長い人類の歴史における最大の革命となった、人種平等の理想の世界が、はじめて招来された。
 不平等条約改正と、人種平等の世界を創ることが、幕末からの日本国民の大きな夢だった。
 日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした。

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