金メダルを獲得した大野将平

写真拡大

【ブラジル・リオデジャネイロ8日(日本時間9日)発】リオ五輪柔道競技3日目、待望の金メダル第1号だ。男子73キロ級で日本のエース、大野将平(24=旭化成)が圧勝の連続で優勝。柔道の日本勢では今大会初、男子代表では2大会ぶりとなる金メダルを獲得した。大舞台で下馬評通りに実力を発揮したメンタルの強さは特筆もの。暴力問題という“負の過去”を乗り越えて、ニッポン柔道の強さと心を世界に示した。本紙は悲願成就の裏に隠された「涙の真相」を緊急公開――。

 ガッツポーズもなければ笑顔もない。大野は金メダルを決めても、喜びを表現することはなかった。「柔道は対人競技なので相手がいる。敬意を忘れず、きれいな礼ができたと思う。日本の心を見せられる場なので、よく気持ちを抑えられたと思う」。畳を下りた瞬間、一気に笑顔がはじけた。

 今年に入り「心・技・体、すべてで外国人選手に勝つこと」を目指して精進を重ねてきた。強さは文句なし。決勝では技ありを奪った後も攻め続け、3分15秒、下がる相手を小内刈りで完璧に仕留めた。

 自身の初戦となった2回戦では前に出てこない相手をつかまえて、横四方固めで一本勝ち。3回戦は華麗な内股で一本を奪った。準々決勝ではシャフダトゥアシビリ(24=ジョージア)に優勢勝ち。ロンドン五輪男子66キロ級金メダリストの壁を乗り越えると、準決勝では鮮やかなともえ投げで一本を取って圧勝した。

「自分の柔道をまだ見ていないので分からないが、心・技・体すべてで勝ったと思っていただけるならうれしい」。金メダルを手にした後は笑顔から一転、涙でこう話した。

 転機となったのは、2013年の天理大の暴行問題。大野は1年生に平手打ちをしたとして登録停止、主将解任、停学などの処分を受ける。世界選手権初優勝の祝福ムードは一転、大野には「暴力男」というイメージがまとわりついた。

 しかし、この問題は情報が二転三転している。天理大は最後に大野の関与を認めた。実は、これには理由があるという。同大関係者は「将平は『ボクは暴力をふるってないですよ』と言ってました。大学を守るために犠牲になったんです」と声を潜める。

 どういうことなのか。当時、暴力問題は大騒動となり連日報道された。「このままでは天理が終わってしまう」。4年生の内定取り消しなど影響を恐れた大学側は、秘密裏に知名度のある大野に火消しを頼み込んだのだという。当然、大野は激怒。一度は要請を突き返した。それでも、関係者から説得され“汚れ役”を引き受ける覚悟を決めたというのだが…。実際、この問題で実名が出たのは大野1人となった。

 当初、罪を認めた大野の発言に変化が見えたのは処分からの復帰後。本紙が暴力問題を問うと「分かってくれる人だけ分かってくれればいいです」と意味深に語った。14年世界選手権、4回戦敗退に終わった大野は母・文子さんとの電話の最中に涙を流した。圧勝して世間を見返すはずが、力が及ばなかった自分への悔しさを抑えきれなかったからだ。

 もともと暴力とは無縁の男だ。恩師の有川宣文氏は「本人から意図的にすることは絶対ない」と断言する。別の恩師、植木清治氏は大学1年時の大野から暴力の相談を受けていた。「天理に暴力がある。どうしたらいいんだろう」。もちろん、“真相”は大野のみが知る。しかし、内定を取り消された4年生は1人もいなかったのは事実だ。

 騒動の渦中、大野は文子さんに言った。

「他の子は内定取り消しになったら次はない。オレはいい。どこでも頭を下げて頼むから。だから我慢してくれ――」

 文子さんは「今考えると将平は天理も守ったし、同級生も守ったんです」と振り返る。苦難を乗り越えつかんだ意地の金メダル。失われた3年間を取り戻し、大野はようやく心の底からの笑みを浮かべた。

☆おおの・しょうへい=1992年2月3日生まれ。山口県出身。7歳から柔道を始め、柔道の名門私塾「講道学舎」(昨年3月に閉塾)で鍛え上げられた。天理大に進学すると一気に才能が開花。2013年世界選手権で初優勝。同大会は15年も制覇。得意技は大外刈り、内股。170センチ。