神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

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■遠藤周作原作の歴史小説

マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』が今秋公開される予定なので、本作への関心が世界的に高まっている。原作は1966年に新潮社から刊行された。

島原の乱(1637~38年)でキリスト教徒が徹底的に弾圧された直後にローマ教皇庁(法王庁)の指令でイエズス会の2人の司祭(神父)セバスチァン・ロドリゴとフランシス・ガルペが日本に秘密派遣される。

実は二十数年前、イエズス会から派遣されていた著名な神学者で卓越した教会指導者であるクリストヴァン・フェレイラ神父が、「穴吊り」という拷問にあって棄教した。井上筑後守という凶暴な弾圧者がフェレイラを棄教させたという。

日本人キリスト教徒は指導者を失って混乱の極みにある。この状況下で日本のカトリック教会を建て直すことがロドリゴとガルペに課せられた使命だった。

日本への潜伏には成功するが、ある信者の裏切りにより2人は逮捕される。「転べ」との圧力が加えられるが、2人は筋を通す。ガルペは、日本人信者が簀巻きにされて海に突き落とされ処刑されようとしている現場に介入し殺される。ロドリゴは殉教する覚悟をする。

処刑の前日、穴蔵の牢にいるロドリゴは大きな鼾の音を聞く。牢番の役人が居眠りをしているとロドリゴは思っていたが、実は「穴吊り」にされている信者の呻き声だった。信者たちは既に「転ぶ」と言っているが、役人はロドリゴが棄教するまで信者たちに対する拷問を続けるという。

そのときフェレイラが現れ、ロドリゴに棄教を説得する。

<「あなたは」司祭(注・ロドリゴ)は泣くような声で言った。「祈るべきだったのに」

「祈ったとも。わしは祈りつづけた。だが、祈りもあの男たちの苦痛を和らげはしまい。あの男たちの耳のうしろには小さな穴があけられている。その穴と鼻と口から血が少しずつ流れだしてくる。その苦しみをわしは自分の体で味わったから知っておる。祈りはその苦しみを和らげはしない」

司祭は憶えていた。西勝寺で始めて会ったフェレイラの耳のうしろにひきつった火傷の痕のような傷口があったことをはっきり憶えていた。その傷口の褐色の色まで今、まぶたの裏に甦ってきた。その影像を追い払うように、彼は壁に頭を打ちつづけた。

「あの人たちは、地上の苦しみの代りに永遠の悦びをえるでしょう」

「誤魔化してはならぬ」フェレイラは静かに答えた。「お前は自分の弱さをそんな美しい言葉で誤魔化してはいけない」

「私の弱さ」司祭は首をふったが自信がなかった。「そうじゃない。私はあの人たちの救いを信じていたからだ」

「お前は彼等より自分が大事なのだろう。少なくとも自分の救いが大切なのだろう。お前が転ぶと言えばあの人たちは穴から引き揚げられる。苦しみから救われる。それなのにお前は転ぼうとはせぬ。お前は彼等のために教会を裏切ることが怖ろしいからだ。このわしのように教会の汚点となるのが怖ろしいからだ」そこまで怒ったように一気に言ったフェレイラの声が次第に弱くなって、「わしだってそうだった。あの真暗な冷たい夜、わしだって今のお前と同じだった。だが、それが愛の行為か。司祭は基督にならって生きよと言う。もし基督がここにいられたら」

フェレイラは一瞬、沈黙を守ったが、すぐはっきりと力強く言った。

「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう」>

結局、ロドリゴはフェレイラの説得に心を動かされて、「踏み絵」を踏んで、棄教する。イエス・キリストが示した愛とは抽象的な理念ではなく、具体的行動であるという遠藤周作氏の信仰理解が端的に現れている箇所だ。

■根をおろすことは不可能

議論として興味深いのは、フェレイラがロドリゴに語る日本人のメンタリティに関する分析だ。

<「二十年間、私は布教してきた」フェレイラは感情のない声で同じ言葉を繰りかえしつづけた。

「知ったことはただこの国にはお前や私たちの宗教は所詮、根をおろさぬということだけだ」

「根をおろさぬのではありませぬ」司祭は首をふって大声で叫んだ。「根が切りとられたのです」

だがフェレイラは司祭の大声に顔さえあげず眼を伏せたきり、意志も感情もない人形のように、

「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」>

フェレイラが言う「日本は怖ろしい沼地だ」という指摘は、決して悪い意味だけに受け取ることはできない。日本が中国に近接し、漢字、仏教、律令などの中国文明の成果物を受け入れつつも、中国や中国人に同化しなかったのは、フェレイラが「沼地」と表現するところの強固な日本文化があるからだ。

明治維新以後、日本は近代化の道を急速に歩んだ。そして第二次世界大戦に敗北した後は、欧米を中心とする先進国と共通の価値観を有していることになっている。しかし、人権や家族に対する感覚、経営スタイルなど日本固有の文化を脱構築することは不可能だ。言い換えるならば、日本という「泥沼」でも生きていくことが出来るように品種改良された苗しかこの国には根付かない。

グローバリゼーションに対する目に見えない抵抗力が日本でなぜ強いかを知るためにも、本書は必読だ。

『週刊現代』2016年9月3日号より