完全失業率の改善は本当に「賃金上昇」をもたらすのか?

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■失業率の低下が意味するもの

2月の完全失業率の3%割れについての筆者の考えは前回の当コラムで言及した通りである(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51387)。

巷の完全失業率改善の解釈は、アベノミクスに対する立場の違いによって大きく異なっている。アベノミクスを支持しない人たちは、「失業率の低下は、たまたま団塊の世代の引退という構造要因が重なったものであり、アベノミクスとは関係がない」といい、アベノミクスを支持する人たちは、「失業率の低下は、アベノミクスの成果そのものである」という論陣をはっている。

筆者は後者の立場だが、ただ、失業率の低下度合いは他の経済指標の動きと整合的ではない側面が強く、これをすべて「アベノミクスの成果」とすることには強い違和感を持っている。

しかも、筆者は、この両極端に分かれた解釈には、政治的な動きを感じる。特に、完全失業率の3%割れを完全雇用の達成、もしくはデフレ解消の現われであると解釈し、全く動かない「インフレ率」の話を忘れさせようとする動きが強まっているようにみえる。

もちろん、筆者は、日本の政治情勢には全くと言っていいほど疎いので、おおげさに考えすぎなのかもしれない。だが、ことさら「アベノミクスの成果」を強調しようとする最近の動きをみると、衆議院の解散総選挙が近いのではないかと勘ぐりたくもなる。

このように、ここまでの失業率の低下は、いっそうの人手不足の進展によって、近い将来、賃金上昇へ波及し、それが、現在までのところ全くと言ってよいほど上昇の兆しをみせない「インフレ率」の上昇につながる(2%のインフレ目標も実現可能)と考えるのが大勢になりつつあるようだが、本当にそうなのだろうか?

■完全失業率と労働分配率

ここまでの賃金上昇率は、失業率低下のペースと比較すると極めて緩やかである。世間一般では、この現象は、「不当なまでの労働分配率の低位安定」としてとらえられることが多い。

すなわち、企業は利益のうち従業員の賃金への配分比率を低く抑えてきたため、「不当に」利益を内部留保等で蓄積しており、これを従業員の賃上げとして還元すべきという見方である。いわば、労働分配率の低位安定は「悪の象徴」であり、賃金低下=デフレと考えるのであれば、「デフレの象徴」でもあるわけだ。

だが、実際の日本企業の労働分配率の動きをみると、そのイメージとは大きく異なることがわかる。

図表1は、1985年以降の労働分配率と完全失業率の関係を示したものだが、労働分配率が低下する局面で完全失業率も低下していることがわかる(図をみると、労働分配率が完全失業率にやや先行しているようにもみえる)。

労働分配率は、企業収益が改善している局面で低下することが多い。その理由は、企業は収益環境の改善を確認してから雇用の確保や賃上げを行うことが多いためだと推測される。

さらにいえば、(当たり前だが)労働分配率と株価は逆相関の関係にもある(図表2)。

したがって、今後、日本の労働分配率が上がるとすれば、企業収益を犠牲にしてまでも賃上げを余儀なくされる状況であることを意味しているので、当然、株価は調整を余儀なくされると思われる。

世間では株価だけ上昇することを否定的にみるが、不景気で株価が上がることはあるが、好景気で株価が下がることは景気末期に金融引き締めが累積的に進行する局面を除けばあり得ない。

そのため、株価が労働分配率の上昇と同時に低下していく局面は、将来の景気のピークアウトを示唆する動きということになるのではなかろうか。その意味で、現在の日本株の動きは不気味でもある。

以上より、今後、賃上げがデフレ解消につながるような動きが出てくるとすれば、日本企業の収益環境がさらに改善するようなマクロ経済環境になる必要があり、先行して株価が上がり始めていることが想定される。

■製造業と非製造業の収益構造

このように、今後、賃上げが実現するためには、企業利益の拡大がさらに見込めるか否かが重要な問題となる。

そこで、製造業と非製造業の経常利益(対前年比)の要因分解を行ったものが図表3と図表4である(要因分解の方法は製造業、非製造業で異なる。かつて「経済白書」で用いられた手法を踏襲した)。

これによると、製造業は足元で経常利益の伸び率が高まっており、その要因は売上数量の増加によるものであるが、これは昨年10月以降の輸出数量の拡大と整合的である。

また、交易条件は、原油価格の上昇で寄与度が大きく低下している。そして、雇用との関連では、固定費要因(人件費)はわずかではあるが、2015年第2四半期よりマイナス寄与になっている。

一方、非製造業では、2016年第3四半期から経常利益の伸び率は増加に転じているが、それほど大きな回復感はない。確かに2016年第4四半期に売上高の寄与度がプラスに転じているが、寄与度そのものは小さい。むしろ、非製造業の利益を押し上げてきたのは、変動費要因である。これは、販管費などの経費節減である。

そして、問題の雇用関連のコストだが、非製造業の場合、従業員数と給与に分解すると、2014年半ば以降、いずれも多くの期間でマイナス寄与となっている。非製造業での雇用の拡大(と賃上げ)は、今年で4年目に突入している。

このように考えると、非製造業で雇用を拡大させ、賃上げを続けていくのは厳しくなって行くのではないか。

2016年第4四半期に売上高要因はプラス寄与となったが、売上を今後も伸ばしていくためには、販管費などの変動費を増やしていく必要がある。そのため、変動費節減によるプラス効果は今後、低下していくと思われる。これに人件費増加という収益にとってのマイナス要因の拡大が加われば、サービス業を中心とした非製造業の収益環境は悪化していく可能性が高まる。

一方、製造業の場合は、為替要因というよりも、輸出数量に大きな影響を与える海外経済動向に対する依存度が今後もかなり高いと考えられる。

海外経済がこのままのペースで拡大し続けるかどうかは論者によって様々だが、筆者は米国が利上げを断続的に続けていく局面では、難しいのではないかと考える。また、トランプ政権の貿易に対する考え方も世界経済拡大のネックになるかもしれない。

■2006年の過ちを繰り返さないために

図表1、2を眺めながら、ここまでの雇用環境の改善を振り返ると、現局面は、2006年の状況によく似ているのではないかと考える。

折りしも、2006年は日銀による量的緩和政策とゼロ金利政策の解除が実施された年である。当時も、主に好調な外需を背景に、「もうデフレは終わった」という認識の下に約半年弱の短期間で、量的緩和とゼロ金利政策が解除された。

その後、「金利政策の正常化」の途中でリーマンショックが発生したが、当時の政策当局者は、せっかく実現させた「金利政策正常化」路線を転換させるのを躊躇ったため、日本経済は破滅的な円高に見舞われた。

今回、政策当局がどのような選択肢をとるかはわからないが、最近の「失業率低下」に対する極端な称賛は、2006年の状況を連想させる。

筆者は、現在の雇用環境の改善がさらに続くためには、設備投資拡大による生産性の改善が必要だと考えるが、機械受注統計などを見る限り、本格的な設備投資拡大が始まる予兆はみられない(特に非製造業)。

また、企業規模別の労働分配率をみると(図表5)、中小企業が上昇し始めており、業況悪化の懸念が出てきた点はリスク要因かもしれない。

個人的な見解としては、失業率の低下は確かに喜ばしいことではあるが、現時点ではあまり過大評価すべきではないと考える。

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